2008年5月3日 土曜日

東京の古着屋さんのルーツ

Filed under: Birdie / special Thanks from Tokyo — Birdie @ 0:21:00

投稿サボってしまい申し訳ありません。

米国のBIRDWELLというサーフトランクスのディーラーもやっている都合上、連休前の通関、入出荷でバタバタしていました。

僕はあまり古着についてお話ししていないので今日はちょっとルーツを思い出しながら書いてみます。

まずはやっぱりアメ横ですよね。玉美、守屋、…ハナカワ辺りではいわゆる中古のジーンズを販売していたと思います。ただ、他に中古のシャツがあったりスエットシャツがあったりした覚えがないんですよね。ひたすらジーンズでした。形もサイズもぶっ込みで凄い物量でしたがお店のお兄さんにほしいものを伝えると一緒に引っ張り出してくれ、説明をしてくれるという感じでそこで知識の蓄積をしていくわけです。。後は中田商店のように軍物一直線なお店には兵隊が着ていたような中古のユニフォームが売られていました。たぶん60年代はそんな風にマーケットが被らないようになっていたのかもしれません。

70年に差し掛かる頃にあのハリウッドランチマーケットが青山のキラー通り沿いのビルの2階に開店しました。今の様子とは全く異なり100%アメリカの古着を扱っていました。古着をきれいにセグメントして陳列しているのを見たのはそこが初めてだと思います。お香のにおいを嗅いだのも初めてかもしれません。青山1丁目のEIKOも中古のジーンズは豊富でしたね。

シカゴもありましたがもう少しスリフトよりの印象です。

75年に読売新聞からMADE IN USA CATALOGが出版され、そのあたりから怒濤のように古着屋さんの開店ラッシュ。原宿の赤富士、バックドロップが渋谷パルコの交差点のビルの2階にオープンし、更に現在の古着屋さんの骨子を作り上げた気がします。当時、ガリ版刷りのお店のフリーペーパーがあり、実は#501にはこういった変遷がありますという情報がてんこ盛りでした。オキドキも老舗ですよね。

その頃、大学に籍を置いたまま自由が丘でサーフショップをやっていましたが、波乗りの道具にはお金をかけるけど服にはお金をかけません。でもアメリカ人みたいな格好はしたい人ばかりで古着屋さんは大賑わいでした。

誰もがジェリーロペスになりたかった時代ですね。

そんな感じで僕の中でルーツはランチとバックドロップが今の業態のルーツのような気がします。

ただその頃の洋物っぽいポップスをやっていた大瀧詠一、ハッピーエンド含め中央線沿線なんですよね。LPのカバーなんて見るとヤバイぐらいいい服着てます。特に伊藤銀次がすごい。あの沿線にもっとコアな古着屋さんがあったのかもしれませんね。

ご存じの方がいらっしゃったら是非教えてください。

PS :以前お話しした福生のボストンテーラーのホームページがありましたのでご紹介しておきます。今も本気にアメリカ人の服です。

www.bostontailor.com

2008年4月18日 金曜日

赤坂プレスセンター

Filed under: Birdie / special Thanks from Tokyo — Birdie @ 22:17:07

青山の墓地下からミッドタウンに脱ける道を通称、星条旗通りと呼んでいます。でも、なぜ星条旗通りなのか知らない方がおおいのではないのでしょうか。実はこの通りの左手は米軍のヘリポートと兵士宿舎(一泊$25.00らしいですが)、それに星条旗新聞の社屋があり都内で唯一返還されないエリアです。昔はこの公称『赤坂プレスセンター』と虎ノ門のアメリカ大使館、赤坂のテレビ局に囲まれた場所は東京のなかで一番ソウルフルな時間が過ごせました。

老舗の大使館(後にエンバシーかな)というディスコが有名でしたが簡単には入れない。まず怖い。黒人のパワーみたいなモノに日常触れたことのない年頃では仕方が無いですが、一人では無理なので友人のお姉さんに連れてきてもらいました。茶色の玉虫のコンポラに磨き倒したチャッカーブーツでのぞみましたが、場馴れしていないくせにカッコだけつけてしまった心地悪さに何とも言えぬ六本木の晩になってしまいました。

そういえばミッドタウンになってしまった真向かいぐらいにEXというお店がありました。所謂、輸出衣料専門店ですごい量のボタンダウンのシャツと20色以上のノープレスのパンツを売っていました。

日本でもこんなにすごい服作っているんだぁと感じました。

かなり割安な価格で販売されていたように思います。

当時はアメリカにとって日本は今の中国のような役割も果たしていたのでしょうか。こういったお店は外人の多い原宿や広尾などにもありました。店構えやレイアウトが洒落ていて当時の若者を魅了していたブランドよりはるかにアメリカのにおいがしました。

ヒルズができて夜の街の様が変わり、ミッドタウンのオープンで懐かしい一つの時代が幕を下ろしました。赤坂プレスセンターを残して。

 

2008年4月10日 木曜日

Around the basement

Filed under: Birdie / special Thanks from Tokyo — Birdie @ 23:05:02

こんばんは、Birdieです。そんな基地の周辺には米兵専門のテーラーやカスタムシューズの専門店がありました。当時は休暇を本土まで戻らず、日本で取る人も多かったのでそういったお店も繁盛していたようです。

僕らは子供ながらそういったお店にレコジャケやスクリーン等の雑誌を持ち込みスタイリスティックスと同じ形のスーツを仕立てたり、アンソニーパーキンスと同じジャケットをあつらえていました。既製品に決して手を出さなかったのはテーラーの型紙が決定的にアメリカ的だったことを嗅覚で知っていたのでしょう。

17.5CM の裾幅のパンツの前後に5円玉を仕込み、みんなで踊ったときに、裾がきれいに揃って振れるなんて小技もありました。

福生には有名だったボストンというテーラーがありましたが、都内住まいの僕たちは霞町のDANによく行っていました。靴はフローシャイムが一番でしたがスリップオンはベースの近くのチャーリーで作るのもお約束でした。

そんな格好でベースの近所のレストランで美味しくもないハンバーガーを頬張ると少しアメリカに近づいたような気がする懐かしい話です。

2008年4月9日 水曜日

その昔…

Filed under: Birdie / special Thanks from Tokyo — Birdie @ 18:03:34

こんにちは、東京のBIRDIEです。きっと僕はこのブログをご覧になっている方の親の世代かもしれません。

僕達の時代は古着といえば福生、立川、座間辺りの米軍基地の周りの放出品店に本土に帰る兵隊が家財道具から洋服まで処分していった中からいいのを見つけるという宝探し的な戦利品でした。

当時はファッション誌はメンズクラブと男子専科(すごいネーミングですが)しかなく、放出品店にある古着と日本の雑誌に出ている洋服にかなりのタイムラグがありました。

相変わらず日本はアイビーなムードがありましたが、手に入れる古着はもっと土臭いものでそのテーストにみんな被れてしまったわけです。プリントされたプレイドのネルシャツなんかにびっくりしていました。

ジーンズも500円ぐらいから山積みにされていましたが、Levi’sの白いピケのパンツを山の中から引っ張り出していましたね。

そんな40年近く前の僕たちの宝探しから、Made in the U.S.Aの世界がスタートしました。

2008年4月5日 土曜日

ブロガーのご紹介★Birdie / special Thanks from Tokyo

こんにちは。 古着ナビドットコムです。  

ピックアップ ブロガー、二人目をご紹介いたします。

 

 

 

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Birdie / Special Thanks from Tokyo

 

神奈川大学入学時(1975年)に友人と自由が丘でサーフショップを運営、その後幸運にも80年代、90年代には多くのセレクトショップの立ち上げや仕入れに参加しました。

幼少期からアメリカの文化に憧れて生きてきた気がします。

50歳を過ぎて、アメリカという重箱の隅をつつくような商品のプロデュースやディストリビュートをしています。

のんびりやるはずが、なぜかセカセカした毎日です。

 

あと2,3名のブロガーがいます。

順にご紹介いたしますのでもうしばらくお待ちください。

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